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ユン・イサンの協奏曲 [音楽]

ユン・イサン氏のフルート協奏曲を聴いた。フルートは学生だったが、とてつもない名演だったと思う。ひさしぶりにぞくぞくする演奏に出会った気がする。ダイナミクスやニュアンスに気持ちが入った演奏だ。知ってか知らずか、聴衆が曲終了後の沈黙の中の余韻を満喫できたことも名演に華を添えた。
 どうにも、演奏会では、我先にと拍手をする輩が多くていやになってしまう。しかし、今日はそれがなかった。前半に行われた作曲家をめざす学生の管弦楽曲もなかなかいい演奏だったと思う。ただ、ジャズの精神を軽視しすぎているような感じを受けた。なんか表面だけ塗っただけに感じてしまったのだ。プログラムにジャズ云々ということを書かなければもう少し違う感覚で聴けたように思う。
 作家は手の内や発想の原点をぽろぽろとしゃべったりしないほうがいい。作品の客観的な評価をだいなしにしてしまう。ビジネスよりももっとシビアに結果優先、できあがった音楽を堪能してもらおうという意識。
 いずれにせよ、学生作品とは思えぬ出来であったことはすばらしいことだ。
 いい演奏会に出会えた。


GWらしく [雑記]

子供の「どこかつれてって」攻撃についに根負け。近場で空いていそうで、旅行気分が味わえそうなところをピックアップし、子供の判断に委ねてみた。
しかし、答えはまったく選択肢に関係なく「海に貝殻広いにいきたい」ということであった。そこで、再びピックアップの結果、車で一時間ほどでいけそうな海岸に決定。

いい天気で、暖かかったけど、海風がつよくて体中砂だらけ。しかも、べとべとな感じ。子供は楽しそうに波と戯れている。
サングラスもべとべとで見えなくなってしまった。

ともあれ、子供が楽しそうに遊んでいるのをみているとなんかうれしいね。
何もなかったけれど、旅行気分に浸れたし、子供も楽しそうだったし、それでいい。
お金をほとんどかけていないので少しかわいそうな気もするが、音楽家は貧しいのだということを身をもって覚えてもらわないと・・。

せがまれていった小旅行・・日帰り・・だったけど、自分にとってもいい気晴らしになった。自分の都合ばかりで子供に我慢させてばかりではいかんなと、自戒。
なるべく、時間を作って子供とどこかにでかけようと心に決めた(もちろん実行できるかどうかはわからない)。

しかし、なんでこんなにお金がかかる世間になってしまったのかな。政府の策略か???


なかなかかけんっちゃ [雑記]

生来のものぐさのせいではないと思うが、なかなかブログにまで手がまわらないまま、時間が過ぎてしまった。
そんなに読んでくれる人もいないと思っているので、いいかげんなものだ。
仕事もあるが、雑用も多い。子供は「どこかにつれてけ」とせがむし、予算の問題もある。

で、GWも半ばを過ぎて、少し時間ができたので、いや仕事と雑用に飽きたので、書く事で気を紛らわそうという安易な逃避である。

やらにゃあならんことが机の上や周りに物理的に積み重なっていくうちに身動きがとれなくなってきている。明日にでも片付けないとなだれがおきそうだ。しかも、必要な資料が下へ下へと降りていくために、実際に使うときにはかなり発掘に時間がかかりそうなことが目に見えている。化石化していないかと心配にすらなる。今の程度なら、どこに何があるか、すなわち、どこをどう発掘すればお目当ての資料にたどりつくかはなんとなくわかっている。今のうちに一度整理するのがよさそうだ。
問題は、スケッチやメモの類である。必要なのか不必要なのか瞬間的に判断がつかない。また、そこらじゅうの紙の切れ端にメモがとってあったりするので、うかつに捨てるわけにも行かない。どこかノートに転記すればよさそうなものだが、書いたときのイメージだけが記憶に焼きついているから始末に終えない。つまり、転記したことよりも、最初にメモをとったときの状況だけを覚えているのだ。だから、何の広告の裏に書いたとか、どの雑誌の裏表紙にかいたとかいう情報は覚えているくせに転記したことを忘れている。どうせきちんと転記したりすると、転記したノートがみつからなくなる。マーフィーの法則か・・?
これって、授業のノートをきちんととると、それで安心して勉強した気になってしまうことと同じだろうか。そういえば、携帯に電話を登録するようになってから、覚えが悪くなった。今までは電話番号や誕生日なんかは忘れることがなかった。今は覚えてもいない。
すると、イメージが記憶には重要なのだろうな。五感をフル活動して覚えることが記憶の定着に大きく関与しているに違いない。
そのものだけを覚えるというデジタル記憶は私には不向きなのだろう。そういえば、指揮者の岩城さんも著書の中で、楽譜の暗譜はイメージの「フォトコピー」だと書いておられた。自分にとっての暗譜は、音の空間の連続。ピアノ曲の場合は指が覚えている。でも、確かにおぼろげに楽譜のイメージは覚えている。どのページのどこに何を書き込んだかも覚えている。
本題はなんだっけ。
そうそう、かたづけなきゃならんっということだったよ。ただでさえ「ウサギ小屋(古い)の日本人的生活」。なんとかしないと、生活できんちゃ。
でも、なかなか捨てられんのだよなあ。何かと思い入れがある。

自宅に焼却炉があったり、焚き火ができたときは、思い切って捨てられた・・焼けた・・気がする。つまりは、「ゴミとしてだす」ということにためらいがあるのだ。
マンションから、田舎の一軒家に引っ越せば、それなりに思い切りがつくかもしれないな。


しばらくぶり [雑記]

年度始めの強烈なあわただしさがやっと一段落した感じだ。
今年度は、久しぶりに昔の世界に戻ってきたので、スコアと五線紙と鉛筆が仲良しの日々である。忘れていた感覚。音楽をコンピュータで考えたいた最近まで忘れていた音楽の感覚が戻ってくるよ。

で、手始めにMaurice Ravelの音楽の分析をしつつ、自作のオーケストレーションを手直しすることにした。オペラはストーリーをかきつつある。
さて、何をきこうかとCD棚を物色。

と、その前にRachmaninoffのピアノコンチェルトが目に入ったので、さっそくスコアを開きながらきいてみた。こりゃピアニスト泣くなぁ。難しいもの。
なんだったっけ、最近映画で使われたよね。

Rachmaninoffは映画音楽も書いていたはずだが、ピアノコンチェルト2番を使った映画・・愛情物語だったかな・・のが印象に強い。
たまたま、初めてこれをきいたころ、ラストコンサートっていう映画をやっていて、その映画にもラフマニノフもどきのピアノコンチェルトが使われていた。あの半音進行しながらのシンコペーションがいいのかな。なんかロマンティックのツボをついている。うらやましい。(ふたつの意味で)こんな曲かけないぞ、たぶん。

ラフマニノフついでに「パガニーニの主題によるラプソディ」もきいてみよう。
第10変奏のあたりと、やはり有名な18変奏がお気に入りだ。

「何かおすすめありますか」ってよくきかれるんだけど、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番やこのパガニーニなんかはやっぱりとっつきやすいよね。
特にクラシックだと考える必要もなく、どっぷり浸れる。
もし、クラシックをあまり聞かない、特に女性の方がいれば、一度きいてみてくださいな。


春だね [雑記]

公園に人が増えてきた。桜の時期だ。ずっと若いころから、桜吹雪の妖艶さに心を奪われてきたけど、なかなか現実にそういう風情にであうことがない。自然の中の桜の森はあるのかな。とりあえずは吉野にいくべきか。吉野家にも足がとおのいているけれどね。

しばらく、体調も崩して、しかも忙しい日々だった。でも、いましばらくはあわただしさが続く。体調が少しだけ復活してきたから、うまくまわるようになるはず。

一度何かに躓くとすべてが停滞してしまうから、人生はうまく回り続けていかなきゃならないね。


ふむふむ [雑記]

イランリードのまま、試合も終わってしまいそうだ。ありゃありゃ・・・。
このところ、プチ鬱なのか、閉塞感ただよう日々であった。

なんかすかっと抜けないよねぇ。
コークでものむ?

春は不安定な状況と欲望と現実の挟間にいる。

何か落ち着かないよね。
バーチャルな楽しみから少しはずれてみよう。
つまり、映画とかDVDとかゲームとかから脱却して、街を歩くとか、どこかへいってみるとか。
あぜ道でも探すか。

あらら、日本まけちゃったよ。


なんでやねん [雑記]

と、関西風にいいたくもなってしまう、大阪市のいろいろ。バスの運転手が1400万とか、地下鉄職員に地下の危険手当>?

はぁ?

とあの魔邪風にいいたくもなってしまうね。

先週確定申告のことかいたけど、全国には、リストラされたり、倒産の憂き目にあったりして苦しんでいる人たちもたくさんいる。しかも、前年度の所得に応じて税金はかかってくるから、突然仕事をなくした家庭は税金でとことん苦しむことになる。
一度こうなってしまうと、悪循環。仕事はこないし、税金や借金のために働いていることになってしまう。ますます、生活は苦しくなっていく。ローンとか、学費とかいろいろとそういう天引きものがたくさんやってくるのだ。

40をこえてからの再就職はとてもつらい。まず、職がない。つぎに、あっても、給料が安い。一生懸命はたらいいても、つきに12万くらいなんてのはざら。タクシーの運転手をして、一日走り回っても、とてもじゃないけど、1400万なんて稼げないと思うよ。
いろんな役場や官庁の無駄遣いの話をきいていると、NHKじゃないけど、払うのがいやになってくる。納税は国民の義務なら、倹約して使うのは行政の義務なんじゃないのか。

のらりくらりと人事のようにかわしている首相のコメントや前時代的な因習に頭も体もどっぷり漬かった政治家のコメントをききまくった一週間だった。
日本は、母国ながらいい国だと思ってはいるけれど、とにかく、今いろんなところで動かしている人たちの
既得権益に対する執着がいちばんの弊害で国をだめにしていると思う。

政治家は、法律を犯しまくって、お金お金とうるさいくせに、ホリエモンに「法律がよければ、いいちってもんじゃないとか、お金がすべてだという人は信用できない」というようなコメントをだしている。
自分たちはなんなんだといいたい。
ニッポン放送の問題については、内情がよくわかっていないから、あまりいえないけれど、FNS系列でだした声明文を聴く限り、人の話をまったく聞かないでイメージ先行でものをいってる気がする。内容もなんだか感情的に「トレードされたくないです、ここのチームが好きだから・・」っていってる子供のようなだだに聞こえる。
ルールを守ろうとしていないのは、どっちなんだろうとよく考えてみれば、おのずと答えがでてくる。
たぶん、実際にものをつくっている人たちの中には、今のくだらない番組を作らされている(視聴率のために)ことに辟易している人たちも多いはず。
そろそろ、内側から革命的な意見を爆発させてもいい時期だと思うぞ。
ものづくりが挑戦することを忘れて、金・・視聴率・・のために走っているのは、どっちだといいたいね。

そうか。日本はもしかしたら、資本主義のふりした社会主義だったのかもしれないぞ。それならなんとなくつじつまがあってくる。
文化の育成にお金をださないところは、あまり社会主義ではないけど。でも、アメリカは文化に対する投資はすごいよな。あれは政府ではなく民間団体か。

なんか、つらくなってきたよ。今年になって、仕事がへってきているからこういう風にマイナス思考になるのかも。


確定申告してきた [雑記]

自由業にとって、確定申告ほどめんどくさいものがあるだろうか。気まぐれな日々をすごしているし、お金の計算はもっとも苦手とするところである。なによりもいやなのは、それほど収入がないこと。税務署員に慰められたこともなんどかある。すごく惨めな気分で、音楽家のプライドなんかまったくない。人生の落伍者っていう自己嫌悪が心をさいなむ。

会計の専門家や簿記の資格をとっている人々をみると、
「なんで、こんなものがわかるのだろう」
という複雑な気持ちにもなる。新人のサラリーマンが300万とかきくと、なんでやねんと思ったりもする。ボーナスや手当てを加えたものなんだろうけど、それにしても、なにもわからず、ぽっとはいって手取り足取り教えてもらいつつ、お金ももらえるとは実にうらやましかったりする。

私の場合収入は、クライアントから2ヶ月くらい遅れてやってくる。翌末〆、翌々末払いってやつが多い。それをすっかり忘れているから、会計ソフト(バージョン少し古い)に打ち込むのもすっかり忘れる。場合によっては、請求書をおこすのすら忘れてしまうことすらある。交通費にいたっては、もう手帳を一枚一枚繰って思い出していく。大概のことは手帳に書かれているからよかったのだが、たぶん、忘れていることもあるはずだ。もしかしたら、それを見越して、払われていないのもあるかもしれない。

ひがみもいいたくなるさと自分を慰めてはいる。毎年この時期はこうなんだ。でも、どんどん音楽の発注が減少、しかも、携帯なんかは単価がむちゃくちゃ低下しているからもう引き受けると赤字になってしまうところまできている。だから、来年はもっと大変なのだろうなと悲観したくなる。
サラリーマンが新しい企画を立てるとき、その考えている時間もまた給料に反映しているんだろうが、我々は、無から新しいものを作り出しても、その時間は考慮されることはない。時給になおすと、何十円まで落ち込んでしまうことだってあるのだ。

しかし、自分で選んだ道だし、がんばっていくしかないね。この年までよく続けてきていると思う。

ニートやフリーターが多くなっているという話をよく耳にするけれど、とりあえず生活力をつけるために働くのは、重要だと思うよ。もちろん、働く意義ってのはもっと別のところにあると思っている。「なぜ働かなければならないか」というのがニートの根源的質問。私の答えは「ではなぜ遊び続けていなければならないのか」である。自らを社会というルールをもつ人間社会の中で活かし続けて、長い今までの歴史をさらに続けていく「生存本能」が「働くこと」を要求している。
自分がいまいきているってことは、数万年もの間、事故や災害や戦乱や圧制から逃れていき続けてきた血と肉が自分の体のなかにあるということだ。
進化せよ、ニートの諸君。
でも、ほとんどの場合、音楽は金にならんぜ、ほんと。

確定申告は深刻な気持ちにさせてくれるよ、ほんとに。


仕事そっちのけの一週間 [ゲーム]

3月になってからというもの、DQ8とURUにどっぷりつかって、まったく仕事に手がつかない。これはいかんと思いつつも、ついついファイルを開いてしまう。こうなったら、はやく片付けるしかないのだろうか。
DQ8は、それでもストーリーが明確で途中でやめやすいのだが、URUはメモを取りながら相関関係を試行錯誤で探しているので、間をあけるとまったくわからなくなってしまうのだ。MystのときもRivenのときも、そしてExileのときもそうであったが、これはやり続けるしかないのだろう。

ここ二、三日壁につきあたって、進まなかったのだが、本日突然先に進むことに成功。なんだ、こんなところにあったか・・。
でも、広い。もし、この世界を体感したい方は、まずmystからをお勧め。でもお子様には向かない。べつに18禁じやないんだけど、謎解きに忍耐力がいるし、攻略本をみたりすると、まったくおもしろくない。ひたすら、メモを取りながら一歩ずつ進んでいくしかない。パズル好きにはたまらないね。

ああ、みつけたっていう快感を一度覚えたらけっこう病み付きになる。


URUにどっぷり [ゲーム]

週末にゲームを買い込んできた。DQ8はいまだにサザンビークをうろちょろしているが、そっちは少しお休みいただいて、MystシリーズのURUにはまっている。しかも、どっぷり、ずっぽり・・。

MYSTがでてから、10年余の時間が過ぎたんだな。最初に英語版MystをちいさなMacでやったときのあの衝撃は忘れられない。私をゲームに引きづりこんだのは、A社の機甲師団とE社のDejaだった。しばらく、コンシューマゲーム機ばかりであそんでいたけど、やはりPCのゲームはいいなぁ。

なんか「じっくり」くるよね。


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