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CDが悲惨な状態に! [音楽]

まずは見てほしい。
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年月を経た生CDなら、表面に書いたラベルがにじんでいく。しかし、購入したCDでここまで悲惨になるとは!

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もちろん光学メディアには寿命があるのは知っている。だが、これはケース内に緩衝材として封入されていたスポンジ(ウレタン)のしわざ。

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CDにはりついて、浸食。レーベル側を溶かしていた。
スポンジもぼろぼろになっている。
悲しい。

データやコンテンツは早めにとりださなければ。
アナログテープやビデオもコンバートしとかないとまずいわ。
でハードディスクもバックアップとって…。どこまでやればいいんだろ。
クラウドも万一のとき当てにならんしなー。


春の祭典について(1) [音楽]

入院中にはじめたストラヴィンスキー作曲「春の祭典」の分析がおもしろくなった。

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ユン・イサンの協奏曲 [音楽]

ユン・イサン氏のフルート協奏曲を聴いた。フルートは学生だったが、とてつもない名演だったと思う。ひさしぶりにぞくぞくする演奏に出会った気がする。ダイナミクスやニュアンスに気持ちが入った演奏だ。知ってか知らずか、聴衆が曲終了後の沈黙の中の余韻を満喫できたことも名演に華を添えた。
 どうにも、演奏会では、我先にと拍手をする輩が多くていやになってしまう。しかし、今日はそれがなかった。前半に行われた作曲家をめざす学生の管弦楽曲もなかなかいい演奏だったと思う。ただ、ジャズの精神を軽視しすぎているような感じを受けた。なんか表面だけ塗っただけに感じてしまったのだ。プログラムにジャズ云々ということを書かなければもう少し違う感覚で聴けたように思う。
 作家は手の内や発想の原点をぽろぽろとしゃべったりしないほうがいい。作品の客観的な評価をだいなしにしてしまう。ビジネスよりももっとシビアに結果優先、できあがった音楽を堪能してもらおうという意識。
 いずれにせよ、学生作品とは思えぬ出来であったことはすばらしいことだ。
 いい演奏会に出会えた。


自分の流儀 [音楽]

厳密に、音楽に区分されるのかどうかはわからないが、まぁいいや。
土曜に突如やってきた仕事でカリカリきている。急ぎで、時間がない上に、だれか知らない人が不能になったためのヘルプである。つまり、穴埋め。しかも、やり方が厳密に決められているし、指示テキストの字が汚くてよめやしない。
人のやり方にあわせることをことのほか苦手としている私にとって、この仕事は実に苦痛である。義理があるからやらにゃあならんのだと自分を叱咤かつ激励するものの、キレる寸前の岸辺で踏みとどまっている。

世の中には、マニュアルが好きな人と嫌いな人がいるものだと思っているが、すでに若くもない自分にとっては、やり方が代わるのは落ち着かない上に能率が思いっきりさがる。スポーツの選手がチームを変わったとたんに成績がころりと変わるのをよくみるけれど、たぶん同じに違いない。長い間やればやるほど、自分にもっとも適したやり方を習得かつ学習していくものなのだ。それを他人のやり方・・彼らはそれが一番いいやり方だと信じているからなお悪い・・にあわせろったって、なぁ。

環境に適応することで刺激を与えられるのなら、それは許せると思う。たとえば、突然若い女の子と付き合うようになって、自分に可能性を新しくみつけるようなものだ。チップス先生のようにね。

しかしながら、これには必ず柔軟な幅があって、カスタマイズや再創造が許されるものだと思う。

とにかくこれにあわせろという頭の固いやつとは、あまりつきあいたくない・・頑固爺の仲間入りか、単にわがままか・・。

締め切りが終わったら、もう二度とやるもんかと心に決めた。今回だけは、受けた以上最後までやるけどね。もう受けないぞ。ぶーぶー。

音楽というカテゴリなので、音楽の話もしとこう。
このところ、周りにいるピアニストにラフマニノフが流行している。なぜ、またラフマニノフ・・。癒しかな。確かにはまりやすいけれど。また、近いうちにこの手のテーマでかくことにしよう。

ところで、ここ数日、このサイトに入ることができなかった。更新したいときにできないのは、ちといやなものがあるね。


集中できる環境 [音楽]

プロフィールをみていただければわかるが、私は音を仕事にしている。もちろん、音には楽音や騒音や信号音といったものがあるのだけれど、私の専門は楽音だ。どっちかといえば、クラシックな領域・現代音楽をさらに専門としている。映像やゲーム、あるいは携帯などに使われる音楽や効果音を作るのだ。しかし、まったく音楽と関係ない音に対する依頼をうけることもあるし、さらに、まったく音とすら関係ない仕事をうけることもある。

社会的な分類からいくと、非常にわかりづらいカテゴリーにはいるので、時と場合に応じて、自由業であったり、自営業であったり、著述業であったりとさまざまなに変化する。ネット上のアンケートなどでまったく該当するものがない場合は無職になってしまったりする。ニートではないけど・・。

私と初めて会う人は、「いいですね、好きなことを仕事にできて」という。うん、その点はそうなのかもしれないが、私にもいいたいことはあるぞ。好きなことは趣味にとどめおくのが一番である。仕事にすると、〆切と品質が重要だ。しかも好きなことができてるわけじゃない。クライアント様のご意向が大切なのだ。

さらにいわれる。「時間が自由に使えて、優雅な生活でいいですよね。私なんか、通勤電車にもまれ、疲れて帰って、たまのやすみはごろねですよ」と。

確かにそうみえる。しかし、決定的にわかってくれていないことがある。自由業は休みがない。365日、常に仕事が頭にある(ブログは数少ない息抜きだ)。

夜中にも仕事をしなければならない。夜受注して、納期が翌朝6時なんてこともある。子供の相手をしたり、家事をやっているから、夜中がいちばん能率があがる。すると睡眠時間がへり、翌日の頭がぼよーんとしてくる。さらに能率が悪くなり、時間だけがすぎていく。町内会やPTAが入り込んできている最近はこの傾向が著しい。

人々は仕事のないときを休みと認識しているが、私にとって、休みは無職な常態と直結している。有給も労働時間規定もないから、仕事がないと即生活に影響する。たとえ、残業があったとしても、けじめのあるサラリーマン生活がうらやましくおもえるときもある。生活と仕事がごちゃごちゃになっていく悲しみがあるのだ。

しかも困ったことに、常態的に仕事があるわけではない。私は依頼を受けて仕事をする。これはとても危険だ。依頼がいつもあるとはかぎらないし、あるときにはいくつも重なったりして、調整ができない。なるへく仕事は全部請けることにしているが、どうしてもできそうもないと、悔しくなってしまう。先約優先だしね。しかも、前述のようなタイトな〆切だと体がぼろぼろになり、家族にも恨まれたりする。酒なしではいられん。コーヒーはすでに中毒を超えている。

当然、生活のため、住宅ローン(よく借りることができたもんだ)もあるから、ある程度の定収入が必要だ。このローンの返済は仕事と違い、毎月律儀にやってくる。たまにはすっぽかされてみたいものだ。そのため、妻を働きに出し、私はバイトもしなければならない。ボーナスとか厚生年金というのはまるで関係のない生活である。私は非常勤講師をやってわずかな定収入を得ている。妻も子供がかわいそうだが、これも運命である。

それゆえ、仕事がとぎれると極端に不安になる。講師をやっている学校が休みにはいったりするともう大変。季節労働を考えなければならない。仕事をやってもすぐに現金がはいるわけではない。2ヵ月後にふりこみなんてしょっちゅうだ。ここ数年、CDの出来合いの音楽をつかう作品が多く、新規で作品を受注する機会が激減している。たとえ受注してもとても安い。労働時間でわってみると時給500円以下なんてこともありえる。

すると、いかに能率をあげて、短時間で数多くこなすかってことになるのだが、それは、依頼が多い場合の話である。数件しか依頼がなければ、当然、時給は無限に0に近づいていく。まったくなかったりすると、これはもう火の車を通り越して泥沼な日々が予想される。かといって、営業にいく気にはならない。数年前に一度やってみたが、得手不得手はあるものだ。私には向いていないとはっきり悟った。営業を外注するにしたって、受注金額と割があわないはずだ。

たぶん仕事渇望症にかかっているクリエイターや零細企業主は多いと思う。ことに不況だと文化事業、芸術事業はすぐにきられるし、下請けにはしわ寄せがくるから、ここ何年も耐乏の日々が続いているはずだ。家族とレジャーにいくなんて夢のまた夢。「思い出を残してあげたい」よね。

豊かな日本ってなんのことだろうと、資本主義を呪ってしまいそうだ。

また、愚痴かよと、自分まで呪ってしまったよ。明日は、建設的にかくぞ。

でもね、わずかに救いはある。後でみずからの首がしまることを覚悟すれば、昼寝だって、ドラクエだってできるのさ。そんなにお金がなけりゃ買わなきゃいいのにって?

しまった、それは気が付かなかった。

 

 

 


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