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春の祭典について(1) [音楽]

入院中にはじめたストラヴィンスキー作曲「春の祭典」の分析がおもしろくなった。この曲は、高校生のころから座右の曲となって、スコアは常に手元にあるのだけれど、じっくりと分析する機会がついぞおとずれなかったんだ。病室では「ローマ三部作(Respighi)」も分析していたので、後日簡単なコメントをかこう。
「祭典」をバイブルのように感じている作家は少なくない。大学時代に、伊福部先生にも、池野先生にも、松村先生にも、そして三木先生にも言われた。「祭典」こそがすべてと。
もっとも、まったく逆の立場をとる作曲家もたくさんいるから、いろんな考え方のひとつ、「嗜好」と捉えるのがいいのだろう。私の場合は、「祭典」と「ダフニス(M.Ravel)」が教科書だ。

で、なんで今日はそういう話題かというと、日本最高峰といえるアマチュアオーケストラ新交響楽団が来週池袋の芸術劇場で「祭典」を演奏するというので、今日リハーサルを見学させてもらった。いま分析している曲でもあり、いつかは指揮してみたい曲でもある。しかし、編成がでかいからなかなか生のリハーサル機会は訪れない。千載一遇とばかり評論家の友人のつてを頼って、見学させてもらえることになった。
指揮は小松一彦氏。

見ていた場所が、打楽器の横、ホルンの後ろだったので、バランスや音楽性についてはなんともわからないから、小松氏のリハーサルのやり方をじっくり見せていただいた。
ひとことでいって、いろんな解釈があるのだなー(あたりまえの普通の感想だねぇ)と感じた。リハーサルのやり方は指揮者によって千差万別。みんなまったく違うから、それはそれでいいのだ。私なら、今こうするだろうなと思ったり、あるいは、そういうやり方もあるのかと思ったり・・。リハーサル中はいろんなことを感じながらみていたけれど、終わってみれば、「ふーん」という複雑な感覚が残った。パーツはそれなりの精度があがっているのだろうけれど、全体がつかめない。これからのリハーサルでそれが形になってくるのだろう。しかしながら、芥川先生の時代から、このオケはすごいなーとおもっていたけれど、毎回の選曲もパワーあるなぁ。メンバーの練習は半端じゃないのだろうね。なんてったってアマチュアオケだから、みんな仕事をもっているわけだし。(うらやましーと本気で思う)。もっとも、名演はとにかく、きちんと演奏するのにも骨のおれる曲であることは間違いない。来週の本番はとても楽しみであるね。

変拍子の多い曲は、譜面(ふづら)にとらわれて音楽がいうことをきかなくなることが多い。「祭典」の場合、少ない動機がどのように使われているのかを吟味した上で、演奏に取り組むのが大切だと思う。
拍子と素材とがずれていることが往々にしてあるから、たとえばフレーズひとつをとっても小節単位で感じてはだめなんだ。正確に音符を奏することから見えてくる何かを多層的に捉えにいく演奏が必要なのだろう。ドビュッシーが始めた類層的な、まるで瓦を積み重ねていくような構成システムを理解するのは一苦労だ。オーケストレーションを考えるとき、五線の上だけで組み合わせを考えていると痛い目にあうことが多い。奏者は人間であり、楽器にも特性がある。特に「祭典」にはそれを認識してスコアを読んでいくことが理解につながる。かなり難しいことさせてはいるけれど、群としての対位法的な配置をみれば彼の狙いはわかりやすい。
もう少し、分析が進んだら概要を書いてみよう。


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